2日目は長岡駅前を出発して山古志を経由して上越線で帰るというルート設計になっています。
注意しなくてはならないのが上越線の本数です。
いわゆる”終電”は越後湯沢駅17:56発となり、これを逃すと涙をのんで(?)新幹線を発動せざるを得なくなります。
ちなみにその1本前は越後湯沢駅発15:05発となります。関東に帰るのにかかる時間も考慮すると15時ちょい前に越後湯沢のちょっと手前の駅で電車に乗れればいいかな?となんとなくデッドラインを設定しました。
まずは長岡市内で補給食を調達し一路山古志をめざします。
山古志虫亀と書いてあります。道路については何も書いていませんが、県道472号→23号を通ります。
県道23号は雰囲気はなかなか山道ですが、途中までは平均勾配も3%に達さない程度なので比較的楽に進めます。
途中山古志地域の案内看板がありました。
最近気づきましたがこの手の案内看板が実は好きかもしれません。
闘牛が有名なのはなんとなく知っていましたが、複数個所あるんですね。
虫亀という地区に入るところで登り坂はとりあえず終了ですが、ラスト2km位は平均勾配が7%近くあるのでやや峠気分が味わえます。
虫亀の入口にはこんな看板がありました。山古志は錦鯉の養殖でも有名です。ローマ字表記があるのは錦鯉が外国のお客様に大変人気があるからなんだそうです。
外国のお客様は山古志まで直接買い付けに来るようで、ほとんどの養殖場が”NISHIKIGOI FARM”の看板を出していました。
山古志中央部(多分)の様子です。田んぼと錦鯉の池が混在しています。
引き続き県道23号を通って山古志闘牛場の脇を通ります。
沿道の風景です。
道路はこんな感じでした。ちょっと狭隘ですが交通量はそれほどないので落ち着いて走れます。
県道23号沿いに走っていると、木篭という地域を通ります。
こちらの集落は中越地震の時に付近を流れる芋川という川がせき止められた結果湖ができてしまい、集落が水没してしまったという場所です。
集落自体は移転しているそうなのですが、震災遺構として水没した家をそのままにしているそうです。
郷見庵という直売所があり、休憩が可能です。トイレ・自販機があります。
もう少し先にはその河道閉塞を解消するための水路があります。遠くの法面に土のう袋で描いた”ありがとう”の文字が見えます。
ここで県道23号からは離れて県道474号→県道71号で越後川口駅付近に下りていきます。
ルートラボで見たときはそれほどきつくないだろうと思っていたのですが、県道474号は一部に平均勾配12%くらいの区間があります。
500m弱で終わるので助かりましたが、急にきつくなったのでちょっと面食らいました。
谷の周りをぐるっと周って行きます。写真で写っている反対側の斜面に走っていく感じです。
反対側の斜面からの写真です。
越後川口方面に向かう途中地元風のサイクリストの方とすれ違ったので派手目のあいさつなどをしつつ下っていきます。
山を下るともう国道17号に合流するので、あとは上越線の残り2本の水上行きとの相談になります。
想定より割と速く進めたため、せっかく来たんだし走れるだけ走って越後湯沢から終電のに乗る作戦でもいいかな、と思いましたが終電だけにまた激混みの上越線に自転車持って乗るのもどうかなと思い直し、
適当な駅で終電1本前の電車に乗ることにしました。恐らく浦佐か六日町付近で乗ることになるだろうという計算です。
国道17号は大小問わず交通量が多いものの、路側帯が非常に広いので自転車で走っていても快適でした。
ただし緩いアップダウンが多く、適当にペース調整をしないと結構ダメージがあるので要注意です。
結局六日町の駅でゴールということになりました。
やっぱり上越線は終電1本前の電車でも結構混雑していました。
上越線は越後湯沢から水上に向かう方面に乗ると途中で2回のループがあるという話だったのでやや期待を込めて乗車したのですが、想像以上にループしている感がなくてやや拍子抜けでした。
ただ、上り下りが全く違う線路になっているのは非常に興味深かったです。中央本線なんかも部分的に上り下りが離れていますが、上越線は別の路線なのかというくらい離れたところを走ります。
というわけで1泊2日ながら中越地域をゆっくり見られたのでなかなか満足感のある旅でした。
上越線がもうちょっと便利なら良かったのに…と思いますが、あえて上越線にあわせた計画を立てるのも旅の面白さと言えるかもしれません。