長野市の地図を見ていると長野駅の南東に他の地域と区画の形状が違う一帯があることに気がつきます。長野市内はおおよそ東西南北の方向に沿って四角く区画がされていますが、長野市稲葉と松岡の境目あたりに北東から南西に斜めに走る気になる一帯があります。
この一帯は1990年まで使用されていた長野飛行場の跡地なんだそうです。
開港したのは1938年のことで、長野市の事業として整備が行われたそうです。当時から民間の航空路線があり、長野-東京便が所要時間80分、この他にも富山・金沢を経由して大阪に至る便もあったそうです。
その後も定期便はなくなりながらも飛行場としては機能していたものの、1989年に犀陵中学校を建設するために閉鎖され、中学校以外の敷地も住宅や工場などになったとのことです。
現地周辺を自転車で見てきましたが、実際に見てみるとそれほど何かの施設跡という印象は受けません。飛行機が転回するためのターニングパッド跡が円形の道路として残っており、そこが一番わかりやすいかもしれません。
滑走路跡の道路です。右側が犀陵中学校の敷地です。言われないと空港跡とは思いませんが、確かにここまで見通しの良い直線道路が住宅街の中にあるのは特異かもしれません。
こちらはターニングパッドの跡の道路です。きれいな円弧状になっています。
空港と関係あるかは不明ですが、使われていなさそうな古い建物が周辺にありました。
1990年頃まで設備はあったということなので、国土地理院の昔の航空写真でもチェックをしてみます。
[国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスを基にheboDJ.netが作成]
1975年当時のカラー空中写真がありました。思ったよりも滑走路は短く、格納庫などの施設は東側にあったようです。現在この写真に写っている地域はほとんど住宅や事業所の密集地になっていますが、1975年当時は農地の割合の方が高く、時代を感じます。