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長野電鉄河東線跡の道路整備状況

以前エントリにした長野電鉄河東線の線路跡が整備され、通行可能になっていました。

2021年に訪問した時にはこんな感じになっていました。

2021年当時の状況です。

1枚目の写真とちょっと撮影位置が違いますが、2024年現在はこんな感じで片側1車線の車道に加えて、両車線に歩道が整備されています。元が鉄道の線路なので横断線形が非常に良く、なかなかに快走路と言って良いと思います。

用地に余裕があったためなのか路側帯の内側部分も十分に確保されており、自転車通行用の矢羽根もペイントされています。この感じで須坂市街方向に道路がつながってくれるとありがたいです。

河東線跡は旧松代駅から旧綿内駅までは歩行者自転車道として整備されているのですが、このような形で一般の道路として整備してくれるのも良いと思います。

自転車のクイックレバーからの異音

いつものようにタルタルーガで走行していたところ、路面が荒れているところで前輪の周辺から「キシキシ…」という感じのきしむような異音が断続的に聞こえるように感じました。

過去にこのような現象が起きた時はフロントサスペンションのリンク部が油切れを起こしていたので、まずは怪しい箇所にシリコンスプレーを吹いて様子を見てみたのですが、改善されませんでした。

後日車輪を外して清掃していたところ、車輪を固定するクイックレバーを動かした時に例の異音が再現することが判明しました。

クイックレバーです。

クイックレバーはカム機構で車体と車輪を固定するというものです。カムの接触面が滑らかでないために音がしている可能性があると判断し、カムの接触面に薄くグリスを塗布しました。

写真の黄色い箇所に薄くグリスを塗りました。

この状態でレバーを動かしてみるとかなり異音は軽減されましたが、なおも微妙に擦れるような音がしたので、カムの軸部分にもシリコンスプレーをわずかに流してみました。

写真の水色の箇所にシリコンスプレーをわずかに吹いて浸透させました。

すると、レバーを操作する限りでは異音は完全になくなりました。その後実際に屋外で走行してみても全く異音はしなくなっていました。クイックレバーのカムやカム軸は表に露出しているので、定期的にこのようにメンテナンスの必要があるのかもしれません。

あるいは、シマノ製のクイックレバーのようにカム周辺があまり表に露出していないものに交換してしまうのも手かもしれません。いよいよ異音が収まらなくなってきたら検討してみても良さそうです。

2024自転車シーズン開幕

ようやく屋外をまとまった時間走れるくらいの気候になってきたので、飯山方面に出かけてみました。

先日動画をアップロードした千曲川沿いの堤防道路を動画とは逆に野沢温泉村方面に向かって走りました。

まだ山の方は冬の装いといったところです。

防災資材置き場

動画を編集している時に、途中にテトラポッドのようなものが大量に置いてある場所が映っていて気になったので、今回は自転車を止めて見てみました。

無造作に置いてあるように見えて、均等にきれいに並べられています。

だいぶ古いもののようでしたが横に説明の看板が設置されていました。緊急の水防用資材が置いてあるんだそうです。

洪水の時にすぐに投入することができるものなのかとも思いますが、洪水は瞬間的なものではなく徐々に危険が高まるタイプの災害なので、河川の水位や堤防の破損状況を見て随時利用されるものなのだと思います。

千曲川堤防道路(菜の花橋-綱切橋2)ロードバイク車載映像

飯山市内の千曲川沿い堤防道路の映像後半です。後半では飯山市街に至る綱切橋までを走ります。

引き続き堤防天端を走って行くのですが、途中で中央橋という橋に差し掛かります。この橋はアンダーパスでくぐることができますが、くぐった出口がちょうど車道と交差する部分になっています。堤防道路に自動車が入ってくることはまれですが、見通しは極めて悪いので注意して走行する必要があります。

動画最後の地点は飯山市街地からもアクセスが良く、直進すれば県道414号経由で中野市方面にも出られるので、この堤防道路はかなり使い勝手の良い道路です。

白鳥神社

東御市の海野宿入口にある神社です。海野宿の宿場町を通る場合でも、川沿いの海野バイパスを通る場合でもこの神社の目の前を通ります。

木曽義仲が挙兵したのがこの白鳥神社と伝えられていることから、創建は平安時代かそれ以前と考えられているそうです。

その後地元武士の海野氏、戦国大名として有名な真田氏の氏神として崇敬され、現代に至っているとのことです。

ロケーションが本当に宿場の入口なので、かつては北国街道を行き来する人たちが旅の安全を祈願していたのかもしれません。街道の歴史を感じることができる神社です。

上の写真の位置から左を向くと、このように復元された海野宿が広がっています。

千曲川堤防道路(菜の花橋-綱切橋1)ロードバイク車載映像

飯山市内にある千曲川沿い堤防道路の動画を投稿しました。

飯山市周辺の千曲川沿いのルートとしては国道117号や県道38号と選択肢が様々あるのですが、左岸側についてはこの動画のルートを使用すると飯山市から野沢温泉村方面へ安全かつ快適に移動できます。

このルートは地元のアクティビティセンターでガイド付きサイクリングルートにも採用されています。

動画の撮影は5月初旬です。長野県北部の春の雰囲気もご覧いただければと思います。

屋代中学校付近の廃線跡遊歩道

2012年に廃線になった長野電鉄屋代線の廃線跡が段階的に遊歩道として整備されています。最近屋代中学校付近についても部分的に供用が開始されたという話を聞いたので見に行ってきました。

場所は千曲市屋代の屋代中学校の隣です。長野電鉄屋代線の東屋代駅があった付近だと聞いています。

こちらがその遊歩道です。工事自体は継続中で、2024年の3月中旬が工期のようなのですが遊歩道自体は既に通行可能でした。この区間は歩行者用・自転車用の区画それぞれが普通自動車1台分くらいの幅で整備されています。

歩行者と自転車はそれぞれ違う区画を通行するようになっています。

こちらが松代方面の終点です。右折して一般道に合流するようになっています。

終点の先にも廃線跡は残っているので、延伸が期待されます。

ちなみに屋代方面についても整備が進んでおり、つながればかなり延長の長い遊歩道になりそうです。屋代-松代間だけでも結構なボリュームになると思うので期待したいところです。

wahooRPMケイデンスセンサーの電池交換

先日の自転車試運転の時に、ケイデンスの値が取得できたりできなかったりという状態になっていることに気がつきました。そのうちセンサーの信号自体を受信できなくなってしまったので、電池切れと判断して電池交換を行うことにしました。

wahooRPMケイデンスセンサーは、ハードウェアの寸法自体がスピードセンサーと同じなので、電池交換の手順もスピードセンサーと同じです。

これがシリコンの外装に収まっている状態です。
取り出したセンサーです。

このセンサーは最中のように2つのパーツがはまっている構造なので、これを外す必要があります。ここが最大の難所です。このセンサーは防水機能があるのでパーツのはめ合いがかなりきつくなっています。また、本体の樹脂が結構柔らかいので、硬い工具でこじ開けると本体が損傷してしまいます。

向かって左手に幅の広い溝があるので、ここに何かちょうど差し込めるものがあればきれいに開けられるのかもしれません。

私が使っているものはもう散々電池交換をして損傷してしまっているので、手持ちの段ボールカッターの先端部分を境目に押し込んで開けることにしました。

開けるとこんな感じになっているので、電池を交換してはめ直せば完成です。再度開けるのは大変なので電池の向きには注意が必要です。

千曲川サイクリングロード(篠ノ井塩崎地区)の通行止めは2024/3/31まで

ありがたいことに暖かい日が少しずつ増えてきたので、オーバーホール後の試運転も兼ねて自転車で屋外を走ってみました。シーズン初めはおなじみの千曲川サイクリングロードがおすすめです。というのも、千曲川サイクリングロードは全体のほとんどが終日日なたなので、ある程度以上気温が高ければ路面凍結の可能性が低いためです。

昨シーズン終わりから通行止めになっていた篠ノ井塩崎地区は引き続き工事中でした。

一応工期を確認したところ、2024/3/31までとのことでした。今年は今のところ雪もそれほど多くないので、順調に進めば予定通りに工事が終わるのではないかと期待しています。

上田丸子交通西丸子線の線路跡

別所線を経営している上田交通はかつては上田丸子電鉄という会社名で、現在の別所線以外に傍陽線、丸子線、そして西丸子線という3路線を経営していたそうです。

西丸子線は下之郷駅から分岐し、現在の長野県道82号別所丸子線に沿う形で丘を超え、西丸子に至るという路線だったそうです。

廃止になってしまったのは1963年ということでもう60年近くが経過していますが、下之郷駅近くの道路には面影が残っていそうだったので見に行ってみました。

現在線路跡は道路になっているので普通に通行することができます。写真右奥が下之郷駅ですが、言われないと線路があったことは分からないと思います。

過去の空中写真などから想像するにこのように線路が延びてきていたものと思われます。

もう少し駅に近いところから写真を撮ってみました。写真左奥が下之郷駅です。小さく留置中の車両が写っています。

駅からまっすぐ延びてきていた線路跡があぜ道のような形で残っています。

左奥の車両の向きとおおよそ線路跡の角度が一致します。

駅から出た線路はまっすぐ南方向に進み、来光寺池付近で方向を東方向に変えて丸子方面に向かっていたようです。

こちらの道路も線路跡のような感じはしません。

地図で見るよりも面影が残っておらずその点は少々残念でしたが、事前に予備知識があれば線路跡を追ってみることも可能そうな感じでした。