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白馬長野有料道路の料金所跡撤去

改めて無料化された白馬長野有料道路を通りがかったところ、早くも料金所のブースが撤去されていました。

結構大がかりな設備でしたが意外にあっけなく撤去されてしまいました。この写真からだと分かりにくいのですが、右側にある事務所はすでに閉鎖されていました。

元々はこんな感じになっていました。

旧岩下橋

鬼無里の町から奥裾花自然園方面に向かう途中に岩下橋という橋があります。この橋の隣に旧橋が解体されずに残っています。

こんな感じで、朽ちるがままに任されているといった感じです。今まで何度も通行しているはずですが、現道よりも一段下に架かっているせいかなんとなく通り過ぎていました。

銘板を確認したくなりますが、橋の周辺が植物に覆われていてこの時期であっても接近は困難です。また、設備の老朽化が原因で不意の事故にあっても困ります。そこで現道の方からスマートフォンのズーム機能を使って銘板の写真を撮りました。

銘板の周辺すら見づらい状況ですが、かろうじて昭和37年・・・という部分が読み取れます。1962年竣工だと築63年ということになります。一般的に橋は40年くらいが耐用年数らしいので、使用されなくなるのもやむなしというところだと思います。

現在の新岩下橋がいつ竣工したかも調べてみたのですが、ちょっと調べた程度では確実な情報を発見することはできませんでした。

小川新田バス停

小川村にある小川新田バス停です。路線バスの27系統高府線と長野駅東口と白馬八方を結ぶ高速バスが停車します。

特急バスは比較的コンスタントですが、路線バスは運行間隔が開いています。

最近この高府線を含む長野市周辺のバス路線が2024年度の9月末で廃止される見込みという報道があり、話題になりました。よく自転車で走る経路と重複していますが、長野駅-鬼無里方面の路線や長野駅から県道70号を経て芋井経由で戸隠に向かうルートなどです。

確かに利用者は少なそうなルートではありますが、鬼無里線などについては唯一の公共交通でもあるのでなくなるとどういった影響があるのか予想がつきません。行政が代替交通を検討しているという報道もされていましたが、どういった形に落ち着くのかウォッチはしておきたいところです。

R250 ポンプヘッド

最近自転車用の空気入れのポンプヘッドを交換しました。ポンプヘッドというのはチューブのバルブと接続する部分の部品です。自転車用品のECサイトであるワールドサイクルさんのPB製品です。

この製品は原型になったものがあって、台湾Airbone社のZT-A15というモデルの改良品だということです。Airbone社自体がポンプメーカーとしては有名なので安心感があります。

私が使っているTopeakのJoeblow Sportとは完全に互換性があります。ポンプヘッドの交換には多少作業が必要ですが、工具が必要なものではありません。

上が最初からついていたポンプヘッドで、下が交換した様子です。
  1. 既存のポンプヘッドの根元についているネジを緩めてポンプヘッドを外します。
  2. ホースに先にネジキャップを通しておきます。写真の灰色のパーツです。
  3. ホースに本体を差し込みます。このとき少々力がいります。
  4. 本体がしっかり差し込まれていることを確認して、ネジキャップで締め込んで固定します。

従来のポンプヘッドでも使用には問題はなかったのですが、時々

  • 空気を入れていくうちに高圧になると空気がバルブ周辺から漏れ始める
  • 空気を入れ終わった後ポンプヘッドが内圧で抜けなくなり、力一杯抜くと手を車体にぶつけてけがをする

といったトラブルがありました。このポンプヘッドは非常に安定した固定力を発揮してくれ、取り外すときも上のボタンを押すだけでプシュッと簡単に外れてくれるので非常にストレスがなく良い製品だと思います。

大げさですが空気を入れるのがちょっと楽しくなるのでおすすめの製品です。

春の小川村方面

さすがに大分気温も上がってきたので、ある程度標高のあるところに走りに行くことにしました。今回は小川村から県道36号経由で鬼無里方面に行ってみました。

白馬長野有料道路は無料になりましたが、今回はあえて旧道の県道31号を走行してみました。やはり以前に比べると車の通行量は減ったように思います。特に大型車についてはほぼ見かけなくなりました。

小川村の高府交差点です。平野部の桜の見頃は終わりつつありますが、小川村ではちょうど見頃です。

天文台のある小川アルプスラインを越えて鬼無里方面に降りていきます。戸隠山の雪もかなり少なくなっているように見えます。

裾花川の様子を見ると、雪解け水が多いのか奥裾花ダムで放流が行われているようでした。普段は穏やかな感じなのですが今日は激流といった感じです。放流しているところは見たことがないので、奥裾花ダムの付近まで様子を見に行ってみることにしました。

と思ったらダムサイト手前で冬季通行止めになっていました。この坂を上るとダムの堤体が見えるのですが、通行止めなのでここで撤退となりました。

身体の方は大分屋外走行の勘を取り戻しつつある感じがしていますが、特に長い下り坂での重心移動や視線の置き方など、走行のコツのようなものがまだ完全に戻っていない感じがします。気候からみてかなり行動範囲は広くなりつつあると思うので、引き続きおなじみのところに出かけつつ調子を戻していきたいと思います。

Formula FM-32のグリスアップ

タルタルーガTypeSの後輪についているFormula FM-32というハブのメンテナンスをしました。このハブは反フリー側に止水用のゴムキャップのようなものがついているのですが、ゴムキャップがハブ本体と独立して動くようになっています。そのために最初からキャップの裏が多少潤滑されているようです。

使用していくうちに潤滑性能が落ちてくるとハブ本体とキャップがこすれて走行中にこすれるような異音が発生します。最近ちょっと気になるようになってきたのでメンテナンスとなりました。

前にも同様のメンテナンスをしています。

画像のようにキャップの部分を左右から指で押すとキャップとハブ本体の間に若干隙間ができます。ここに自転車用のグリスを少量詰めて、車輪を空転させるとグリスが行き渡って潤滑されます。

車輪を空転させても音は出なくなったのでまたこれでしばらく快適に乗ることができそうです。このメンテナンス方法でいいのかどうかが少々心配ですが、今のところ深刻な問題は起きていないのでおそらくは大丈夫だと思います。

上田飛行場跡

最近上田市内にかつて空港があったという話を知ったので実際に現地に自転車で行ってみました。上田飛行場という名称で、飛行場跡地は現在県立上田千曲高等学校の敷地となっています。

現地に行ってみると門柱は飛行場当時のものがそのまま残っているようでした。

門柱の近くに記念碑があり、飛行場の成り立ちについて詳しい情報が載っているようでした。(読み取りづらく解読できていません)

飛行場の成り立ち

元々この場所に飛行場を作るという計画があったわけではなく、不況対策事業として上田市が国の補助金を受けて農地の開墾が行われていたそうです。しかしながら開墾してみたところあまり土地が農業向きではなく、飛行場として利用することになったそうです。

後から国の認可も得られ、1936年に上田市営の飛行場として開業し、主に郵便運搬などの民間の定期便を中心に利用があったそうです。

翌1937年には所属が陸軍省の飛行場となり、埼玉県にある熊谷飛行場の分教場という位置づけになったものの、民間機の利用も引き続き行われていたということです。

戦争中には軍用機の訓練なども行われ、空襲を受けたこともあるそうです。最終的にどのような形で高校の敷地になったのかが調べられていないのですが、1948年にはこの場所が上田千曲高等学校になっていたそうなので、それまでには飛行場としては利用されなくなっていたものと思われます。

この上田市中之条付近は地図で見ると周辺の場所と比べて妙に区画がきれいに整理されていて気になっていたのですが、元々飛行場であったことと、飛行場になるまではいわゆる新田開発的な開発が行われていたことを考えるとなんとなく合点がいきます。

[国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスを基にheboDJ.netが作成]

1947年の上田飛行場周辺の様子です。

千曲川平和橋付近の建設現場

千曲川サイクリングロードを走っていると平和橋付近で広大な造成地が目に入ってきます。つい最近まで空き地のような感じだったのですが、先日通りかかった際には建物が建てられている真っ最中でした。

周辺の土地も含めてかなり大規模なので何ができるのかと思って調べてみたところ、建設機械のレンタルを行っているアクティオ株式会社の機材基地だそうです。

八幡東産業団地造成事業(アクティオ長野ちくまテクノパーク統括工場開発事業)

[千曲市Webサイト]

基地では建設機械の整備やテストなども含めて行われるそうで、同社ではこれを”テクノパーク”と呼んでいます。ながの千曲テクノパークは全国のテクノパークの中でも最大規模の面積になるそうです。

2023年度中に完成見込みだったらしいですが、昨今の人手不足や資材価格高騰の影響なのか、鋭意建設中という状況のようです。

ちょっと面白いのは建設現場で動いている建設機械は当然ながらアクティオ社の所属になっていることです。自前で機材がやりくりできるのはこういう時に便利そうに感じます。

会の船渡し跡(生坂村)

国道19号沿いに松本方面に自転車で出かけたのですが、道中小さい看板を発見しました。元々よく通る道だったのですが今まで気がつきませんでした。

看板を見てみると会という地区と雲根という地区を結ぶ船渡しの跡であることが書かれていました。

説明によればかつては山清路の右岸側(現在は国道19号が通っている方の岸)には道路がなく、左岸側にあるこの船渡しを使ってアクセスするしかなかったということです。 大正初期まで使われていたということですから、結構長期間船でアクセスするしかない地区があったということになります。

看板は2011年に立てられたものだそうですが、周辺はちゃんと草刈りがされていて、どなたかがメンテナンスしているのではないかと思います。

現在の船渡し跡付近の川面はこんな感じになっています。もっとも、大正時代は犀川のダムもなかったと思うのでここまでなみなみと水量のある感じではなかったかもしれません。

替佐駅公衆トイレ

飯山線の替佐駅に隣接している公衆トイレです。

男女別
小便器2
個室和式1
多目的x

千曲川の左岸側を下流に向けて走ってくると飯山線沿いに走ってくることになるのですが、途中の駅にトイレがあるので助かります。中でもこちらの替佐駅のトイレはほぼ道路沿いでアクセスしやすく、駅に自動販売機もあるので一息入れるのに便利です。