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海野宿橋の復旧工事

2019年に長野県内に大きな被害をもたらした台風19号の復旧も大分進んできた感じがします。その中の一つである東御市の海野宿橋の復旧工事現場を見て来ました。

海野宿橋は国道18号から分岐し、千曲川沿いを通る海野宿バイパスの橋です。この橋があるおかげで国道18号から直接海野宿の駐車場にアクセスできていたのですが、台風19号災害で護岸が損傷を受け、橋台がまるごと川に落下するという大きな被害になりました。

一時は落橋の恐れがあるということで、橋の下を走っているしなの鉄道が運休するなどの影響がありました。

2021年9月時点では道路の路床部分の工事が進んでいます。橋と路面がつながるとかなり元に戻ってきた感じがします。

工事現場のフェンスに見学できるように1ヶ所開けている面があります。
今までの経過も写真で見られるコーナーがあります。

今回の復旧に当たっては、損傷を受けた護岸については今までの護岸に加えて外側に増加装甲のような護岸を追加したほか、路盤についても改良した土を使い耐久力を高めているということです。

近年工事の情報公開が盛んで、私のような道路や土木構造物が好きな者にとってはありがたいです。

笄橋(こうがいはし)

千曲川に架かっている笄橋のご紹介です。千曲川に架かる橋の中でも比較的小さめ・短めの橋となっています。

位置は坂城町と千曲市の境界付近で、橋の順番で言えば上流側の隣の橋が昭和橋、下流側の隣の橋は万葉橋となります。

右岸側の国道18号から渡ってみます。刈谷原交差点を川の方に入ります。

こちらが笄橋です。

堤防天端同士を橋が結んでいるわけではないので、橋を渡る時には坂を登ることになります。

左から上流側(上田方面)の様子、下流側(戸倉上山田温泉方面)の様子です。

左岸側から見るとこんな感じです。左岸側から見ると堤防からの距離は遠く感じます。

何となく埼玉県中西部の荒川や都幾川に架かる橋を思わせる簡素な橋です。あえて通行する理由はあまりないかもしれませんが、交通量はあまりないのでのんびり渡れるのは良いと思います。

親沢橋(小谷村)

長野県内にいくつかある中島武技師によるRCローゼ橋を見つけました。親沢橋という橋で場所は大糸線千国駅よりちょっと白馬方面寄りの道路です。

国道148号沿いではなく、並行する狭い道路に架かっています。この道路はかつての国道148号なんだそうで、親沢橋も架橋されたのは1937年、このタイプの橋りょうとしては日本で2番目に古い橋なんだそうです。

他のローゼ橋同様、シュッとしていて美しい橋です。
土木遺産の銘板です。

1937年架橋にしては新しい感じがしましたが、近年補修をしたとのことです。

反対側からです。橋の後ろには大糸線の線路が見えます。

橋の歴史もさることながら、この道路が糸魚川-松本間のメインルートだったというのはちょっと信じられません。昔は通行にさぞ苦労しただろうと思います。

犀川の旧明治橋の銘板

以前、犀川にかかる明治橋が現在とは違う場所に架かっており、橋自体の構造もトラス橋だったらしいということを航空写真をたよりに調べました。

明治橋の歩道部を通っている時に、旧橋の風景が銘板になっているのを偶然発見しました。

”トラス橋の明治橋”ということで当時の様子が絵で残っています。架設されたのは昭和9年(1934年)ということです。

現在の明治橋は1994年に完成したもので、1998年の長野オリンピックに向けて整備された道路の一環だったようです。

旧明治橋は銘板の情報によると橋幅5.5mとなっていますが、これはかなり狭かったのではないかと思います。一般的に地方部の道路は1車線3.0-3.5mを確保するのが通常なので、この”橋幅”が橋の有効幅員(実際に人や車が通れるスペースの幅)だったとしても通行には苦労したと思います。

狭い橋というと相模川の旧小倉橋のことを思い出しますが、あちらは幅員4.5mということでさすがの狭さです。

国道19号山清路地区の新橋

国道19号を松本方面に移動する際に、山清路付近で県道55号が旧八坂村方面に分岐します。その途中から犀川左岸を生坂村方面に走れることが分かったので、走ってみました。

道路自体は4輪車だと多少狭いかな?と感じるところもありましたが、自転車で走る分には快適でした。19号本線を走る場合でも生坂トンネル回避のために生坂村方面にう回はするので、この犀川左岸ルートは常用化しても良いように思いました。

途中で長野19号防災(山清路地区)事業の一環である橋りょう部分を下から観察することができました。

左岸側道路は全体的に快適に走れる道路でした。距離がかさむのを容認できればオススメです。
こんな感じで立派な橋が完成しつつあります。

山清路周辺も豪雨などにより土砂の流出が起きやすく、その度に長時間にわたって通行止めになりがちな区間だということです。このバイパスルートは災害の起きやすい危険箇所をカットするルート設計になっているそうなので、こちらも完成が待たれます。

山清路大橋

以前から長野県道55号の山清路橋の下流にもう一つ大きい橋が建設中だったので気になっていました。先日付近を訪問したところ既に供用されていたので写真を撮影してきました。

橋の写真です。名前は新山清路橋(仮)だったところ、山清路大橋が正式名称となりました。ちなみに供用開始日は2020年12月13日とのことです。

国道19号方面の様子です。橋へのアクセス道路もご覧の通りかなりきれいに整備されました。

ちなみに旧山清路橋はまだ残っていますが、車両通行止めの規制がかかっています。旧山清路橋のために県道55号の筑北-差切峡-山清路区間は制限重量2tという厳しい規制がかかっていましたが、山清路大橋の供用で変化しているのではないかと思います。この辺りもそのうちチェックできたらしてみたいところです。

上田ローマン橋

秋頃のことですが、上信越自動車道の上田ローマン橋の写真を撮りました。

その名の通り、アーチが連続する古代ローマの水道橋のようなデザインの橋です。

位置的には東京方面から見て上田菅平ICの手前というところです。東京方面から走ってくるとこの橋が左カーブになるため、運転しながら橋のデザインを見ることができます。確か道路脇に”上田ローマン橋”の看板も出ていたように記憶しています。

自転車の視点だと菅平方面に向かう際に県道176号を選択するとくぐることになります。この橋を過ぎるといよいよ本格的な登り区間になるので、ランドマークとして印象に残る橋です。

中道橋(長野県須坂市・米子川)

須坂方面の探検をしていたところ、ローゼ橋を発見したので写真を撮りました。

中道橋という橋です。

ローゼ橋については千曲川に架かっている昭和橋をきっかけに知って気にするようになりました。その後も色々と調べていると長野県にはRC製のローゼ橋が多いそうです。

竣工は昭和36年3月ということですから、昭和橋の設計をした中島武氏の設計ではないと思われます。しかしながら、似た設計の橋りょうが後年に至るまで架橋されているというのは興味深いことです。

橋の下を流れる米子川は不思議なことに河原が赤くなっています。これは米子川の源流である四阿山(あずまやさん)に硫黄や銅の鉱床があり、そこから流れ出る水が酸性化していることが原因だそうです。

ここからかなり下って川の名称が百々川(どどがわ)と変わった辺りでも河川のph値は平均して4前後に達するとのことです。身近な物だとしょうゆやドレッシング並みということですから、特徴のある河川であることが分かります。

姫川橋

前から見に行ってみたかった土木遺産の姫川橋を見に行きました。以前エントリにした千曲川の昭和橋と同じ、中島武という技師の手による橋りょうです。

場所は大糸線の中土駅の北側ということで、行政的には小谷村ですが新潟県境に近いところです。

RCの無骨な感じと浅いアーチの組み合わせが美しい橋です。
橋の中ほどからの写真です。
ひめかわはし の銘板です。
土木遺産の銘板です。
解説板です。1939年竣工ということで、できてから80年以上経っていることになります。

鋼材がない時代だったゆえのRC造であったことは解説板を見て知りました。姫川橋のある県道330号・114号はかつての国道であったそうですが、今から80年も前にこの厳しい地形条件の場所に道路を開削し、橋を架けた人たちがいたことには感服するばかりです。

旧国道もかつての幹線の面影があり、沿道風景が面白い道路です。姫川橋はやはりスペック的には耐荷重に制限があるのか、このように大型車の通行を1台ずつにするよう依頼する看板が道中に出ていました。

犀川橋

長野自動車道で聖高原を越え、明科トンネルを抜けるとすぐに差し掛かるのがこの犀川橋です。その名の通り犀川に架かる橋です。

松本平に入り、ここまでの山間部から打って変わって突然視界が開けるので、印象に残りやすい地点だと思います。

写真はお隣の県道495号光橋の上から撮影しています。