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綿内駅前の遊歩道

綿内駅前に久々に立ち寄ったところ、駅跡地が結構変わっていました。

駅舎は解体され、バス停が残るのみとなりました。公衆トイレもそのまま残されています。

こちらは2020年10月時点の駅舎です。

駅舎跡は広い砂利敷の広場になっています。線路跡は若穂駅跡から延びてきている遊歩道になっています。

遊歩道はそのまま須坂方面まで行けるかと期待しましたが、駅を出て300mくらいのところで早くも途切れていました。遊歩道の延伸にはまだ時間がかかりそうです。

駅の跡地がかなり広いので、現状の砂利広場のままでは少々もったいなく感じます。今後どういう利用がされるのか注目したいと思います。

北しなの線牟礼駅

ウォーキングの時に北しなの線の牟礼駅から電車に乗りました。牟礼駅には鉄道関連の面白い設備がいくつかあります。

牟礼駅です。
旧信越本線の駅らしくホーム有効長が長い駅です。

ホーム先端の方には今はもう使っていないと思われる14両の停止位置目標などもあります。

ホーム間を結ぶ跨線橋には”長野東京方面”の表示が今も残っています。

階段の蛍光ステッカーはJR東日本時代のものです。

色々ある中で特に興味深いのが跨線橋の支柱です。

鉄道作業局 新橋工場製造 明治三十三年 と書いてあるように読めます。明治33年と言えば1900年なので、この柱は製作されてから120年以上経っていることになります。なかなかこの古さで現役の跨線橋は少ないのではないかと思います。

しなの鉄道の駅は要所に信越本線時代の面影が感じられて興味を引きますが、牟礼駅は中でも貴重と思われる鉄道遺産が現存する駅でした。

JR東日本の2023年3月ダイヤ改正

JR東日本の2023年3月ダイヤ改正の情報が出ていました。長野県内においても色々変更があるようなのですが、篠ノ井線の臨時特急新設と、それに伴う信州しなの料金回数券の発売終了が個人的には影響が大きそうに感じました。

篠ノ井線の臨時特急

篠ノ井線の臨時特急については通勤用途を想定して朝は塩尻から長野まで、夜は長野から松本までそれぞれ1本ずつ設定されるということです。臨時特急ということなので、運転日は特定の日に限られるようです。編成はあずさにも使われるE353の3両編成ということで、ちょっと見慣れない編成になりそうです。

信州しなの料金回数券の発売終了

臨時特急の新設に伴い、特急しなのと臨時特急のどちらにも利用できる”篠ノ井線特急料金回数券”が新たに発売されるそうです。区間は長野-塩尻間で4枚つづり、2,780円とのことです。

現行の信州しなの料金回数券は利用できる列車は特急しなののみですが、区間や枚数は同じ条件で2,080円という破格の安さです。今回の再編で実質値上げとなってしまいますが、元々が安かったのでこれもやむなしかなという感はあります。

長野-塩尻間は通常の自由席特急料金だと1,200円なので、値段が上がるとはいえ特急料金回数券はかなりお得な回数券だと思います。中南信方面への輪行の友のようなきっぷなので、来年もまたお世話になる場面があると思います。

【国会図書館】(長野電鉄)四十年のあゆみ

国会図書館の”個人向けデジタル化資料送信サービス”で長野県に関する面白い情報が掲載されている本がないかを調べています。

最近見た中では1960年に長野電鉄から発行された”四十年のあゆみ”という本が非常に興味深い内容でした。

四十年のあゆみ

[国立国会図書館・閲覧には要登録]

この本はいわゆる社史で、長野電鉄の創業以来からの記録がていねいにまとめられています。

長野電鉄の歴史に関しては長野電鉄百年探訪という素晴らしい本がありますが、この本は鉄道事業の記述が主となっています。こちらの1960年の社史は自動車事業や観光事業など、グループ全体の事業展開の様子も詳しく掲載されているのが特徴です。

また貴重な写真の掲載も多く、昔の駅の写真やトンネル・橋りょうの工事写真などが確認できます。

車両や設備についてもスペックを含めて細かく列挙されており、中でも鉄道車両については新造や授受・譲渡・改造に至るまで詳細な年譜が掲載されています。データ好きな方が見ても楽しめるのではないかと思います。

全体を通してみると情報量の多さが際立つ本です。本文中にも配慮した旨の記載がありましたが文字ではなく写真や表・グラフによる説明が多く、分かりやすくなっています。公共交通が好きな方にはかなりオススメできる本です。

しなの鉄道沿いの鉄道レールを利用した柵

しなの鉄道の屋代駅-千曲駅間に、わずかに500mくらいですが線路と並行して走れる道路があります。日影で夏場は涼しいので気が向いた時に通っています。

ここの柵は興味深いことに鉄道レールでできています。

間近で電車が見られるのでオススメです。
このように鉄道レールを組み合わせた柵になっています。

レールを再利用した構造物というと、以前見つけた長野電鉄の高さ制限ゲートが古いレールでできていました。この柵も原料になったレールがどういったスペックなのかが気になるところです。

刻印を見てみると”50N LD [マーク] 1973″と読み取れます。

この上下左右に突起のある星のようなマークは旧新日本製鐵(現在の日本製鉄)のマークのようです。1973年製ということで50年くらい前のレールです。

この写真だと割と見やすいと思います。

全数チェックしたわけではないですが、この一帯の柵は全て同じスペックのレールで構成されているようでした。

明科-西条間の篠ノ井線旧線

篠ノ井線の全線開通は1902年だそうですが、明科-西条の区間については1988年に新たに開通した新線を使用しているそうです。開通当初の線路は使用されなくなりましたが、廃線敷遊歩道として人気を集めています。

ちょうど明科駅を出てすぐのところに跨線橋があり、現在の線路と旧線の痕跡をわずかに確認することができました。

明科駅方向です。明科駅には特急しなのも便によっては停車します。
こちらが西条駅方向です。薄く青で引いたラインが旧線跡と思われる空間です。

現在は右手に見える山に向かってまっすぐに線路が入っていきますが、開通当時の線路は極力山に沿うように登っていき、トンネル区間を必要最小限に抑えるような工夫がされていたようです。

廃線敷遊歩道はこの手の遺構にしては珍しく、当時のトンネルも通行できるようになっているそうです。歩行者専用なので自転車で通行はできないらしいのですが、いつか訪問してみたいスポットです。

信濃川田駅

2012年に廃線になった長野電鉄屋代線の信濃川田駅を訪問しました。

バス停としては現在も使われているためか、駅舎はそのまま残っています。
駅の看板もそのままになっています。

”長野電鉄百年探訪”の駅図鑑によれば信濃川田駅の駅舎は開業当時(1922年)のものだそうです。ちょうど100年前の建物ということになります。

駅の周辺には線路跡や踏切なども残っており、屋代線の遺構の中では現役当時の様子をよく残している駅だと思います。

都住駅

長野電鉄の都住(つすみ)駅を訪問しました。

住宅地の中の静かな無人駅といった感じです。

長野から湯田中に向かう長野電鉄は長野を出て須坂-小布施と住宅地の中を走りますが、この都住駅から信州中野駅までは田畑の中を抜けていきます。

駅に隣接している踏切がちょっと変わったタイプでした。

遮断機が最近よく見るカウンターウエイトのないタイプのものだったのですが、片側は写真のように丸みのあるデザインのものでした。長方形タイプのものはよく見かけますが、この丸いタイプはあまり見た記憶がありません。片側だけなので何か実験的に設置されたものなのかもしれません。

長野県内の第4種踏切の数

自転車で長野県内を見て回る時に鉄道に関連する場所をテーマに訪問することがよくあります。各沿線を走っていると、思いのほか遮断機・警報器のない第4種踏切が多いことが気になりました。

これは長野電鉄中野松川駅のすぐ横にある踏切です。

実際にどのくらいの数があるか調べてみたところ、総務省の調査結果があることが分かりました。

4種踏切道の安全確保に関する実態調査<結果に基づく勧告>

[総務省Webサイト]

こちらの資料によれば長野県内の第4種踏切の数は全都道府県中2番目の121なんだそうです(2020年3月時点)。ちなみに1位は山口県の162、3位は北海道の117です。何となく感じた通り多いのは間違いないようです。上の資料によれば全国の第4種踏切のうち4.6%程度が長野県内にあることになります。

ちらほら見かける印象ではあるのですが、特に多い沿線などがあるものなのか、更に気になっているところです。何か参考にできる資料が見つかれば追加で調べてみたいと思います。

屋代駅(長野電鉄側)

しなの鉄道の屋代駅に立ち寄りました。かつては長野電鉄屋代線の始発駅でもありましたが、現在長野電鉄側は遺構を残すのみとなっています。

長野電鉄の駅はプラットホームと看板の台座部分が残っています。
長野電鉄の線路は撤去されていますが、線路があった痕跡は何となく認められます。
長野寄りの長福寺踏切です。警報器のみの3種踏切です。

駅としては現役なのもあって、旧屋代線の痕跡も比較的確認しやすく感じました。かつては信越本線と屋代線を直通する急行列車の設定もあったということで、この辺りの歴史的な経緯も非常に興味深いと思います。